守谷の地形と原風景

守谷は、利根川と小貝川、そして江戸時代に付け替えが行われた鬼怒川の三つの川に囲まれたまちです。中央には、常総市や取手市の方につながる「猿島台地」があり、三つの川につながる低地は枝分かれしながらひだのように台地に入り込み、谷津(谷戸)と呼ばれるたくさんの小さな谷をつくっています。
今から約6千年前の縄文時代には、海面の高さが今よりもずっと高かったことから、このあたりの谷は海の入り江であったと考えられています。守谷のまちや集落、畑などは、この台地の上を中心につくられてきました。八坂神社や永泉寺など古くからある神社やお寺も、そのほとんどは台地の上にあります。
台地の裾には、いたるところに湧き水があり、谷津や川につながる低地は、水田として人々の営みを支えていました。そして台地の雑木林や谷津へと降りる斜面林は、燃料としての薪の利用や、落ち葉を使った堆肥づくり、竹を使った道具づくり、山菜やキノコ、薬草の採集など、日々の暮らしに欠かせない場所として利用されてきました。この台地と谷津、林や斜面林が一体の生活空間を作っていたのが、守谷の地形と原風景の特徴です。

里山ってなんだろう?

里山とは、人々が暮らしのために身近な自然を利用しながら、同時にその管理や手入れを行い、持続的に環境を維持してきた、人の暮らしと自然が一体となった環境のことです。山奥深くの手つかずの自然などとは異なり、地域の人々の適切な手入れによって守られてきたという点で、二次的な自然などとも言われています。
日常的な利用が行われなくなるにつれ、暮らしと里山の関係も希薄なものとなっていましたが、最近では里山の豊かな生態系や貴重な緑、環境教育の場としての可能性など、改めてその価値が見直されてきています。

暮らしの変化と里山の現在

この里山の環境は、戦後になって大きく変化しました。ガスや電気が燃料として使われるようになると、薪を林からとる必要がなくなり、化学肥料によって落ち葉を堆肥として利用することもなくなりました。さらに、ニュータウンの開発によって、いくつもの谷津田は埋め立てられて消滅し、また、農業の効率化や減反によって、残る谷津田もその多くは耕作放棄地となり
ました。生活の場として利用されなくなるにつれ、ゴミの不法投棄なども行われるようになってしまいました。
しかし現在では、こうして荒れてしまった里山の環境を整備したり、再生したりする取り組みが守谷でもあちらこちらに見られるようになっています。
ゴミ拾い、田んぼの再生、散策路や水路の整備、ホタルなどの生き物の育成、竹や薪の炭焼きなど、子どもたちや市民のみなさんが、身近な自然を楽しみ、触れ合えるような環境づくりが進められています。

知らない守谷を探してみよう

住宅地の開発により、昔とはだいぶ様変わりしている守谷ですが、今でもそこかしこに里山らしい姿を発見することができます。いつも通らない道をのんびりと歩けば、名前を知るほどに楽しくなる野の花や、めだかなどの
小さな魚たち、里山の王者オオタカなど、普段は気づかない守谷に出逢うことができるかもしれません。「守谷さとやまマップ」はそんなきっかけになれたら、と製作しました。
あなたも、今まで知らなかった守谷との出会いを求めて、この「守谷さとやまマップ」を片手に小さな旅に出てみませんか。